鍼治療におけるリスク管理

以下は、実際に以前の職場で起きた実話で、院長会議の際に取り沙汰された内容。
誰しも注意するべき、改めて気を引き締める必要がある事項。

【鍼灸施術における気胸・血胸・皮下気腫のリスクと肩背部経穴の安全性に関する考察】

鍼灸臨床においては、内臓との距離が近い部位への施術に際し、解剖学的な理解と慎重な刺入技術が求められる。

とくに胸郭周囲においては、誤った刺入方向や過度な深刺により、気胸・血胸・皮下気腫といった重篤な合併症を引き起こすことがあり、これは施術者の責任が問われる重大な事象となりうる。

気胸とは、肺を包む胸膜のうち、臓側胸膜が破綻することにより肺から空気が漏れ出し、胸腔内に貯留する病態である。

これにより肺が虚脱し、呼吸困難や胸痛を呈する。鍼灸においては、とくに背部や肩部の経穴に深刺した際、胸膜を穿破し、空気が漏れ出すことで医原性気胸を生じるケースが報告されている。

軽度の気胸であれば自然吸収されることもあるが、中等度以上では酸素投与やドレナージが必要となり、重症化すれば命に関わる。施術者が深刺しのリスクを理解せず、また患者の体型や肺尖の高さを考慮しなかった場合、思わぬ事故となる。

血胸は胸腔内に血液が貯留する状態であり、気胸よりもさらに重篤である。通常は外傷や手術後に生じることが多いが、肋間動脈や胸膜を損傷した際に発生することがあり、鍼が血管を損傷した場合に極めて稀ではあるが起こりうる。

また、皮下気腫とは皮膚の下に空気が漏れて溜まり、プチプチとした捻髪音(ねんぱつおん)を呈する状態である。鍼が肺の表面を貫いて空気が漏れた場合、気胸と同時に皮下気腫を伴うことがある。皮下気腫は軽度で済むことも多いが、患者には違和感や不安を生じさせ、医療機関での精査が必要となる。

こうした合併症を予防するためには、背部や肩部の鍼灸に際して、危険部位を的確に把握し、刺入の方向・深さを調整することが不可欠である。

特に注意すべき経穴として、
肩井(GB21)
天宗(SI11)
肺兪(BL13)
厥陰兪(BL14)
心兪(BL15)
風門(BL12)
膏肓(BL43)

などが挙げられる。

肩井は第7頸椎棘突起と肩峰を結ぶ線の中点に位置し、肩こりや頭痛の治療に非常に頻用されるが、肺尖にもっとも近く、誤って垂直に深刺した場合、肺を穿破する可能性がある。

特に痩せ型の女性や高齢者では皮膚から肺までの距離が短く、数センチの刺入で気胸に至ることがある。

安全のためには斜刺や横刺で浅く刺入する技術が求められる。

また、天宗は肩甲骨の真ん中、肩甲窩の中心に位置し、肩背部の筋緊張を緩める目的で使用されるが、この部位も深刺によって肺に達する可能性がある。

肩甲骨自体が肺との緩衝材になっている場合でも、骨の内縁を越える角度で鍼を入れた場合には危険である。

肺兪や風門、厥陰兪、心兪などの膀胱経の兪穴群も、胸椎棘突起の外1.5寸に位置しており、解剖的には肺の上葉に近い。

肺兪は呼吸器疾患に対する要穴であるが、内向きの角度で深刺すと肺尖に刺入する危険があるため、浅刺または外斜刺が原則とされる。

膏肓(こうこう)は第4胸椎棘突起下縁の外3寸に位置し、心兪のさらに外側にある。

古来より虚労や肺疾患、慢性疲労、不眠などに用いられる重要な経穴であり、その治効性からしばしば使用されるが、この部位も肺尖に極めて近く、解剖学的には危険部位とされる。

皮膚から胸膜までは個体差があるものの、場合によっては1.5センチ以下で肺に達する可能性があり、安全管理を怠ると容易に気胸や皮下気腫が発生する。

熟練した術者であっても、常に最大限の注意が必要である。

実際に、こうした部位への施術後に生じた気胸が、施術者に対して過失として問われ、訴訟あるいは警察沙汰となった事例も存在する。

中でも、患者自身が気づかぬうちにストレスや呼吸の急激な変化(咳・くしゃみ・深呼吸など)によって自然気胸を発症していたにもかかわらず、直前に鍼治療を受けていたことから、施術者が「医原性気胸を起こした」と疑われた例は少なくない。

これらはいわば鍼灸師にとっての“冤罪”であり、科学的因果関係が不明瞭な中で、医療過誤として扱われてしまったものである。

一例として報告されているのは、20代の痩身の女性が肩井と膏肓に対して鍼施術を受けた翌朝に胸痛と呼吸苦を訴え、病院で自然気胸と診断された事案である。

画像上、鍼が原因と断定できる所見はなく、発症時間や生活背景からもストレス性自然気胸の可能性が示唆されたが、患者側の家族が「鍼のせいだ」と主張したため、施術者は一時的に警察から事情聴取を受けた。

このように、因果関係が不明確でも、医療訴訟リスクや風評被害を避けるためには、日常的に施術記録を残し、患者への事前説明と同意(インフォームド・コンセント)を丁寧に行っておくことが、防衛策として重要である。

鍼灸施術はきわめて安全性の高い医療行為であり、その副作用は他の侵襲的治療に比して格段に少ない。

しかしながら、特定の部位においては合併症のリスクが存在するという事実を十分に理解し、局所解剖と個体差に応じた柔軟な対応力、さらには自身を守るための法的リテラシーを持ち合わせることが、現代鍼灸師に求められている。